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リチャード・ネヴィル (第5代ソールズベリー伯) : ウィキペディア日本語版
リチャード・ネヴィル (第5代ソールズベリー伯)
第5代ソールズベリー伯リチャード・ネヴィル(''Richard Neville, 5th Earl of Salisbury'', 1400年 - 1460年12月31日)は、15世紀ランカスター朝期のイングランド貴族。
母が王室の血を引いていた事と、母方の爵位継承者が不在だったことから爵位・所領を拡大し、スコティッシュ・ボーダーズスコットランドとの国境地方)の警備責任者を長く務めたことで、特に北イングランドで勢力を伸ばした。しかし、ヘンリー6世の時代にノーサンバランド伯のパーシー家との対立が表面化し、これに勝利するためにヨーク公リチャードと手を組んだ。ヨーク公がヘンリー6世に反旗を翻した薔薇戦争でもヨーク派についたが、ウェイクフィールドの戦いの敗戦でヨーク公と共に処刑された。
== 生涯 ==

=== ネヴィル家の富の蓄積と分裂 ===

1400年、ダラムレビィ城で生まれた。リチャードはウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィルの3男(第10子)ではあったが、母で父の後妻ジョウン・ボーフォートエドワード3世の3男ジョン・オブ・ゴーントの娘でヘンリー4世の異母妹であった。
ネヴィル家の所領は主にダラムとヨークシャーにあったが、イングランドリチャード2世、ヘンリー4世はこの一家がスコティッシュ・ボーダーズにおけるパーシー家の勢力との均衡をはかるのに利用できると考え、1397年に父にウェストモーランド伯爵位が与えられ、さらに1403年にはスコットランドとの西部国境警備責任者(Lord Warden of the West March)に任命された。王族・貴族間の区別がいっそう重要になっていた時期であるからこそ、ラルフにとってエドワード3世の孫娘で王室の一員のジョウン・ボーフォートとの結婚はもう一つの報酬として見ることができる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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